SSブログ

N360 と親父 [ハードウェア]

親父のクルマについて思い出すことを書いてみる。

(1) 運転免許
小学校の校庭で、バイクの学科と教習を受けて免許をもらったと聞いている。道路交通法が改定されて、いつのまにか 750cc の大型自動二輪の免許になっていたそうだ。

(2) 250cc
私は男3人兄弟の長男だが、3男が生まれるまで、親父は250cc ホンダ二輪に乗っていた。次男は生まれる途中で死んでしまった。3男の出産で、病院まで親父のバイクに乗って見舞いにいった、所々舗装されていない国道1号線を歯を食いしばって乗っていた。穴ぼこが見えると、全身の筋肉でバイクにへばりついていた。直進しても迂回しても、すごい G がかかっていた。

(3) N360
家族が4人になったので、親父は N360を購入した。当初から2ドアが気に入らなかったようだ。毎日、4キロほどの通勤で乗っていた。この距離だと、バッテリーの充電より放電の方が多いらしく、ある日エンストして道端に止まっているのを集団登校の列から見て恥ずかしかった。

(3) N III 360
N III が販売されるとすぐさま買い換えた。色もメタリックとなった。スカスカのエンジンルームなのに、なぜかボンネットの真ん中が膨らんでいた。フロントマスクが、とても気に入っていたようだ。ラジオもついていたが、タコメータがないグレードだった。

この頃、鈴鹿サーキットに家族で行った思い出がある。入り口で N III 360 のミニカーがあり、買ってほしいといったら帰りに買ってやると言われた。ところが、帰りは反対側の出口となってしまい、N III 360 のミニカーは売っていなかった。親父が手にしたミニカーは BMC MINI だった。こちらの方が、値段も高かった。違うといったが、ほとんど同じだろうといってレジにいってしまった。このとき N360 と MINI の微妙な類似性を知った。

N III 360 に乗って、現在の愛知県三好市から、愛媛県松山市まで盆と正月に往復していた。給油は1回だったように記憶している。名神高速を、軽く100km で走っていた。大阪万博も、この車で行った。カツカレーが 800円だったのを記憶している。アメリカ館とソ連館で迷ったが、実物の宇宙船が見たくてソ連館に並んだ。アメリカ館は、パネルが中心だったと聞いていた。

(4) CIVIC
ここまでは、大型自動2輪の免許でよかった。仕事でリッター車を運転するには、教習所で一定時間の実習を受ける必要があって通っていた。法律でどんどん規制が厳しくなっていったが、シートベルトと一旦停止は、よく理解していなかったようだ。CIVIC の型番は忘れてしまった。

(4) FIT
50歳を超えたころから、ずっとFitに乗っていた。なぜかハイオクを入れていた。5人の孫を乗せて走るのが楽しみのようだったが、相変わらずシートベルトとドアロックが苦手のようだった。当時から流行しはじめた、背の高いクルマが嫌いだっといっていた。チャイルドシートについては、理解を超越する存在だったようだ。

※また、思い出したら更新してみることにする。
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。